半年ちょっと程あらゆる用事で東西東西されてすっかり左前にしてしまいましたが,この度ようやく還ってこれました.決して忘れたわけじゃないですないです.
あの企画とかコンペとか盛大にすっぽかして今でも内心真っ青積みどっさりですが最早是非もありません,この期に及んで捨てられない以上端から順に何とかしていきましょう.
そういう訳で先ずは
manuscriptstockyard181023.hatenadiary.com
↑のお話から.
過去記事引用のタブに251日前という目を逸らさずにいられない金銀コンプ的な数字が並んでいるのはもういっぱい申し訳ねーです.
結局第1案のIS-3に決まった訳ですがこれが間違いの始まりでした.
ダ○ソーで意気揚々と600×300のMDF板を買って早速ねじで繋いで600×600のベースを作りました.
横たわるファッキンビッグなベースの上に粘土やら何やら盛って川岸と水面を作らねばならない事に思い至った時,主に財布的な意味で敗けを悟りました.しかし精神がルビコン渡河をしていたので出来る範囲で何とかしようとしました.やめときゃよかったのにね!(財務のこわいかおを見ないようにしつつ)
とりあえずストックしてあった段ボールと新聞紙を刻んでタルク替わりにして細かい所はMDFと一緒に買った紙粘土でどうにかしました.
もはや一心不乱でしたので写真がほぼ残ってないです.いつもこんなん(困難)だなーてガハハh(爆死)
因みにIS-3はグリーン単色とか白十字だと味気ないし絵面的にもここで稼がないとしょっぱかろうと思い近くでPS4WoTをしていた同僚に何かネタ無い?と投げてみたら気前よく頂けました.重ねて感謝申し上げます.何か50年代中盤のソ連迷彩らしいですが真相はしらないです.
色は茶のダークアース以外は雑にッヘーイと調色したので憶えてないですがそう難しい色ではないでしょう…多分.
という訳で強引に完成に持ち込み,返す刀で輸送用箱をでっち上げ,箱ごと体をバスに押し込んでコンペに30分遅れで持ち込んだのがこちらになります.
もう大きさでガーッと押し切ったようなもんですが,当初は水面をクリアレジンにするとか川岸の土と草の表現に拘る,水しぶき,へこんだ水面,電飾等,制作メモという名の怪文書を見返す限り某SDI計画並みの無茶だったことは認めるべきなのでしょう.
その後,季節の変わり目による引っ越しに当たって解体されてしまいましたが,その資材は何一つ捨てられることなく積みの山の中で復活の時を待っている…らしーです.
別に復活は構わないけどこれ持ち込める所他にあったかなぁ…