ウマ娘3期をずっと見ていたのだけど3期11話は心に結構来たので。
勝ち負けを繰り返し、様々な問題にぶつかり、時には自身を見失っても、
夢を拾い直し走り続け、皆を沸かせてきたウマ娘”キタサンブラック”
その静かな落日と幕引きが描かれようとしている。
その始まりはシニア2年目の宝塚。春の3冠達成が賭かる上半期の大一番。
勝利やその先の凱旋門賞を期待される中、終盤で伸びを欠いたまま沈み、敗戦する。
春からの連戦の疲労か?といつも通りの日々を過ごすものの戻らないいつもの伸び。
焦りが募る中、ついにゴールドシップから指摘される。
「お前は競争者としてのピークを過ぎてしまった」のだと。
他でもない、それを経験しトゥインクルシリーズから退いた彼女からである。
自身の拠り所であった力を失い困惑と凱旋門への進退に迷う中、
ずっと応援してくれた商店街の人々の話を耳にする。
「凱旋門に行くのはめでたいが、応援に行けないのは寂しい」
「秋の盾を獲るキタちゃんも見てみたかった」
そして彼女は決断した。凱旋門ではなく秋の3戦に挑むと。
「華でいられるうちに、みんなの前で走り続けよう」と。
そして皆を沸かせ盛り上げる、という自身の夢のために。
迎えた秋シニア3戦の初戦である秋天で、今までにないミスや悪い馬場の中、何より陰りをみせたコンディションの中で死力を尽くして勝利する。
そして彼女は初めて競走後に膝を付いた。
限界を超えた走りの反動に呼吸を荒げる中、キタサンは何かを悟る、という所で11話は終わる。悟ったのは自身の限界か、それとも。
どんなアスリートでも自身のピークやそれ以降の失速とは無縁ではないし、晩節を汚さずに退くことができることは殆どない。競走馬だってそう。
ましてその両方の性質を持つウマ娘である。
アプリウマ娘のマヤノトップガン育成ストーリーの中にも、全盛期を過ぎて陰りゆくナリタブライアンの姿が映される。
その中ではブライアンが沈みゆく赤い夕陽に例えられていた。
沈み際に赤く輝く夕日に。
キタサンブラックも夕日として沈んでいく時期を迎えてしまったのかもしれない。
あるいは燃え尽き輝きを失わんとする恒星か。
膝をついたキタサンを見たとき思わずこのくだりを思い出し、そして夕日に重ねた。
劇中の観客は激闘の結果として、そして流石のキタサンブラック!として称えていたかもしれない。
ここまで物語を見てきたぼくには、カーテンコールが近づいたことを感じさせる、
寂寥感さえ感じさせるシーンのようにも思えた。
思えばこのために丁寧に敷き詰められてきたような物語だった。
キタサンの浮き沈みと精神的な成長。
どんなときも活路を開いてきた頑強さと力強さ。
皆を盛り上げたい、という夢。あるいは願い。
精神的成長が無いままだったら迷走して折れていただろう。拾い直した夢が繋いでくれた。
ゴールドシップの引き際を見届けていなかったらどうだっただろう。最後まで皆の前で走り、沸かせるという選択肢が見えなかったかもしれない。
夢が無ければどうなっていただろう。ピークアウトで絶望したり破れかぶれになってしまったかもしれない。
頑強さと力強さが無ければ?先人のように怪我に苦しみ、今この場所にたどり着けなかっただろう。
積み重ねが、選択を決めた。そしてバトンを最後の舞台へと継いでいく。
ある種のノンフィクションのように進んでいった今作は、次回第12話へと続いていく。
お祭りウマ娘”キタサンブラック”の引き際、そしてこの物語の引き際を来週見届けたい。